人は死に触れないと死を理解できない

私は幼い頃から、
身近な存在の死に何度も触れてきました。
田舎ですし、
しきたりや儀式のようなもの、
大人たちの立ち居振る舞い、
見てきました。

36年前の今日、
児童館に通っていた私は帰宅するとすぐ、
おじに連れられて、
祖母の家に行きました。
児童館の青いスモックを着たまま、
黄色いカバンも持っていた記憶。
そこには横たわる祖母。
そして、おばが泣きながら私の手を掴み、
無理矢理祖母の頬に当てたのです。

つめたかった


初めて、
人が死ぬことを知って、
感情とは別に、
涙がこぼれた。
これは、
悲しいとか哀しいとかそんなじゃなくて、
心の奥の私が死を理解したのだと思います。
1/21が来ると、
いつも思い出します。
手のひらの冷たさ。
この日は、実は、
弟の誕生日で、
だから尚更絶対に忘れられないから、
毎年あの光景が蘇ります。


私の子どもたちもまた、
そんな記憶を抱えながら生きています。
だれだってそう。
みんなそう。
今そうでなくても、
必ず。
限りあるものだと知ったなら、
ある限り生きるだけ。
簡単です。

2019.1.21 love

ゆいごんプロジェクト 〜言葉が星になるなら

大切な家族を失ったとき、 支えとなるのは、 その人の のこしてくれたたった一言だったり、する。 だから書きませんか? あなたのゆいごん。 これは、 ママからこどもたちへの、 自分から大切なひとたちへの、 ゆいごんプロジェクトです。

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