パパのかけら =きらいだったかもしれない=
久しぶりに会った友人と、
だらだらと話をして、
その中で、
亡くなった夫のことを、話した。
彼女が、
生前の夫を最後に見たのは、
スイミングスクールで、
眉間にシワを寄せて、ものすごく怖い顔で、
運転していた姿だったと言った。
3人目が生まれた頃、
必然的に私がその子の世話をするため、
上の2人の子どもたちの世話をお願いすることが多かった。
スイミングスクールの送迎もその一つ。
きっと、
決して喜んでその役割をしてくれていたのではないのかもしれない。
好きなこと、なんにもできず、
いつのまにか、
家族の時間だけを生きていたから。
彼女からその話を聞いたのは、
初めてだったから、
少し動揺した。
娘が、
「パパが生きていたら、
私はきっと、
パパを嫌いになってたと思うよ。」
そう言ったことがある。
私たちは、家族だから、
どんなことも受け入れて、
チームのように暮らしていたと思う。
あんなことがあってからは、
流れていた時間、
思い出す時は、
嫌なことは、消えている感覚になる。
いい記憶だけが、
ずっとずっと、
むしろ鮮明になっていく。
ずるいね。
嫌なとこもあったよ。
そういえば、
短気だったし、
子どもにも厳しかったよ。
そうして、
子どもたちと、
パパを共有する。
なるべく本物のパパを忘れないよに。
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